松本すみ子の「@シニア」

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第1回
定年も悪くない

はじめまして。9月から登場した松本すみ子です。

以前、「日経BPネット」で『団塊消費動向研究所』、「日経BPセカンドステージ」で『団塊世代のための定年準備講座』などを連載していました。それが終わって、寂しい思いをしていましたが、今回「フロム・ナウ」でカムバックでき、嬉しい限り。できるだけソフトに分かりやすく、団塊世代の正体(?)と動向、マーケットの動き、新しいシニアの生き方や活動などを、さまざまな角度から分析・提案していきたいと思います。面白そうな商品やサービス、「そんなのおかしいんじゃないの!」という疑問、元気に活動するシニアの実例なども、どんどん紹介していきますね。

正々堂々リストラが始まったころ

1回目は自己紹介を兼ねて、私がこの仕事を始めた理由とそのころの話をしましょう。

私はシニア世代の中でも、主に団塊の世代を中心に研究しています。どうしてそんな仕事をしようと思ったのかと、よく聞かれます。最初のころは、介護の仕事をするのかと言われたりしました、病気でもなく、介護状態でもない普通のシニア世代への関心は高くなく、そんなことが仕事になると思う人はあまりいませんでした。今にして思えば、逆に、だからチャンスだったのかもしれません。

シニアをウォッチする対象に選んだ理由は、私もほぼ同じ世代だからです。年を取っていく自分がいて、自分の周りには高齢者に近づいていく仲間たちがいます。第三者的な、評論家のような見方をするのではなく、当事者として、同時代を共に生きながら仕事をしていきたいと思いました。

私は、2000年に会社を興しました。それまで勤務していた会社を辞めようとかと悩んでいた1997~1999年ごろ。多くの企業に不景気、業績悪化という嵐が吹き荒れていました。日本の会社もとうとう耐えきれず、リストラという名の従業員整理に手を染めだしたのです。そして、多くの会社が50歳以上の社員を早期退職希望者の対象にしました。なぜ50歳だったのでしょうか。人数が多く、目だつ存在だった団塊の世代を間引きすることが、もっとも手っとり早い方法だったのかもしれません。

友人の多くも、この時期に会社を辞めたり、転職したりしています。この時、それまで終身雇用、年功序列を大事に守ってきた日本企業が、おおっぴらに臆面もなく「リストラ=解雇」という手段を行使した最初だったと、私は考えています。以来、リストラという手法は、日本でも常とう手段となりました。

私は、このような状況をとても疑問に思いました。能力や実績には関係なく、50歳で線引きをされるのです。もちろん、ほとんどのサラリーマンには60歳定年という線引きがあります。しかし、これは最初から想定されていることで、覚悟し準備をする時間もあります。でも、50歳の線引きは突然の提示であり、心の準備ができていない人が大半でした。梯子を外されたという思いを抱いた人も少なくはありません。対象になったからといって、辞める必要はないのですが、いたたまれない思いで去った人、耐えた人がいたのではないでしょうか。

こんな状況は若い社員にもマイナスの影響を及ぼします。この世に年を取らない人はいません。「自分もこの会社にいれば、50歳になった時には、いらない人材としてはじかれるのだろうか。それなら、早く別の道を見つけたほうがいいのではないか」。クレバーな社員なら分かるはず。心の中には寒風が吹き荒れていたことでしょう。

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