外国人に日本語を教えてみませんか!

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第7回
オリンピックを楽しむための、 日本語教育の歴史案内

さて、今回はロンドン五輪にちなみ、日本語教育の歴史から、意外と知られていない、ユニークな人物たちの素顔を紹介していきましょう。

五輪開催国イギリスからは、まずは、アーネスト・サトウを紹介します。
歴史好きには、幕末から明治維新にかけての激動期に英国外交官として過ごし、習得した日本語を駆使して、高杉晋作、伊藤博文、徳川慶喜などの通訳を行った人物としてお馴染みでしょう。1862年に来日したサトウですが、この「サトウ」という名前はスラブ系の姓で「佐藤」とは全く関係ありません。ただし、この名前の呼びやすさ、親しみやすさのために、日本社会に受け入れられやすかったと本人も述懐し、佐藤愛之助という日本名も使っていたそうです。回想録『一外交官の見た明治維新』が有名ですが、『会話編』『英和国語辞典』という日本語学習向けの書物も執筆しています。
1873年にイギリスから来日したバジル・ホール・チェンバレンも日本語学習に取り組み、後に、海軍兵学校や東京帝国大学の教師となり、日本の国語学、言語学の基礎を築きました。『日本口語便覧』といった生活で使われている日本語語彙集を編さんした他、和歌や能についての本を著したり、俳句を初めて英訳しその魅力を海外に伝えた人物としても知られています。
1867年に『和英語林集成』という和英・英和辞典を完成させたのが、明治学院大学の創設者として名高いアメリカ人のジェームス・カーティス・ヘボンです。ヘボンという名前にピンときた人がいらっしゃるかもしれませんが、この辞書によって広まったのが、ヘボン式ローマ字です。

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