第8回
ヨーロッパの移民問題の基礎講座
2012.09.04 [村上 充]
ロンドン五輪が終わり、1カ月が過ぎようとしています。過去最多38個のメダルを獲得したこともあり、大いに盛り上がった大会でしたね。ところで、オリンピックやワールドカップを観戦していると、ヨーロッパの各国では、アフリカや中東などにルーツを持つ選手が活躍する姿が目に付きます。今回は、ヨーロッパ諸国での移民受け入れの大きな流れを紹介します。私たちの社会にとっても、学ぶべき点は多くあるはずです。
さて、ヨーロッパへの移民受け入れの大きな流れは、第二次世界大戦の終了に端を発します。1946年にヨーロッパ全土を巻き込んだ戦争が終わり、破壊された街の再建を始めようとしたものの、自国の若者たちの多くを戦闘で失っていたヨーロッパ諸国では、労働力が不足していました。そこで、戦後復興に必要となる若い働き手を、旧植民地から呼び寄せることにしたのです。例えば、インド、パキスタン、バングラデシュ、タンザニア、スーダンからイギリスへ、アルジェリア、チュニジア、モロッコ、セネガルからフランスへ、インドネシアからオランダへ、といった流れです。
さらに、戦争の痛手から立ち直り、生活が安定するにつれ、重労働や危険な仕事を敬遠する人々が増えこともあり、外国人労働者の受け入れは続きました。
この需要と供給のバランスは、1973年の第1次オイルショックによる景気後退で崩れました。仕事が減り、移民の受け入れを停止しようとする動きに、「一時的な出稼ぎ」として働いていた移民たちは、母国へ戻れば二度とヨーロッパでは職に就けないのではないか、また、母国に残してきた家族を呼び寄せることができないのでは、と不安に駆られました。しかし、この騒ぎの中で、合法的に滞在している移民には、ヨーロッパ人権規約に基づく「家族の再統合」の権利によって、「家族の追加的移住」を要求する権利があることが知られ、逆に母国からの家族の呼び寄せが始まったのです。ここで、「出稼ぎ」から「定住」へと移民の生活スタイルが変貌していきました。
しかし、低成長時代を迎えたヨーロッパ諸国の労働者にとって、移民は自分たちの仕事を奪いかねない存在と見なされることも多くなりました。一方、移民たちの中にも、失業などの不安から自暴自棄になる者も出てきたために、両者の衝突が起こるようになり、この問題は各国で顕在化してきました。90年代以降は、旧ユーゴスラビアなどの民族紛争によって国を追われた難民たちが西ヨーロッパ諸国へ流れ込んだため、「不法移民」の問題が深刻化しました。そして、9.11以降は、ヨーロッパでもムスリム(イスラム教徒)に対する排斥の動きが強くなっています。
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