江戸の名残を歩く

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第35回
上野で葛飾北斎のお墓をお参りする

台東区というと、浅草と上野が二大観光スポットですが、浅草と上野に挟まる形の下谷地域にも江戸の名残が数多く残されています。そもそも現在の台東区は、昭和22年(1947)に浅草区と下谷区が合併して誕生した区でした。上野も谷中も下谷区に属していました。下谷は由緒ある地名なのです。
今回から、そんな下谷地域を5回にわたって訪ねます。

上野駅を降りて、浅草に向かって東に走る浅草通りに出てみましょう。左手に上野警察署や台東区役所が見えてきます。江戸の頃は、この辺りは広徳寺という巨大寺院の境内でした。その壮大さから、「びっくり下谷の広徳寺」というフレーズで呼ばれたほどですが、現在は練馬区に移転しています。

浅草通りをそのまま東に歩くと、東京メトロ銀座線稲荷町駅の表示が現れますが、その手前に大きな鳥居が聳え立っています。下谷神社の鳥居です。

下谷神社鳥居
下谷神社鳥居
下谷神社鳥居

この社は奈良時代に創建されましたが、その頃は現在上野公園になっている上野のお山にありました。江戸時代に入り、3代将軍徳川家光が上野のお山に寛永寺を造営するのに伴って、現在地に遷座します。

寄席発祥地の碑寄席発祥地の碑

境内には、「寄席発祥之地」の石碑があります。寛政10年(1798)に現在の中央区馬喰町で櫛職人をしていた京屋又五郎(後の三笑亭可楽)が、入場料を取って下谷神社で興行をおこなったことが、寄席のはじまりと伝えられています。そんな由緒により、下谷神社に石碑があるわけです。境内には、明治の俳人正岡子規の句碑「寄席はねて上野の鐘の夜長哉」もあります。


仏壇通り仏壇通り

下谷神社を出て、再び浅草通りを東に進みます。この通りは、通称仏壇通りと呼ばれます。仏具屋が軒を並べているのですが、一つ特徴があります。直射日光を受けて商品が傷むのを防ぐため、南側に店が並んでいるのです。この仏具街は、今でも下谷が寺町であることを示す光景と言えるでしょう。

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