『ものづくり』からできること

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第4回
美しいデザインの基本は「線」

往年より、デザイン業界においてモノのデザイン設計に偶発的にできるモノを人は避けてきた。構成される線や面には何かの根拠が必要と考えられているからである。コンセプトを目標(ゴール)に挙げ、綿密に計算しそのゴールを目指す。だから、コンセプトを挙げた時点でその商品の形状(デザイン)はほぼ出来上がっていることになる。
しかし、偶発的に生まれてくる形状にも人の手で、また思考のうえで決定されるので、全くの偶然によるものとは言い難い。
一本の線を引くにも、手の動きによって形成される。その線が良いのか悪いのかは脳で判断される。良いと判断された線たちは複数用意され、それらの組み合わせによって1つの形が出来上がるのである。偶発ではない。

現在、流通している製品は、ほとんどが前者の工法でデザインされている。だから同じコンセプトに生まれたモノの形状は、共通したデザインでメーカーのオリジナリティーが表現できないでいる。
今大切なのは、コンセプトからゴールまでの一連の流れを変えるということ。つまり、モノをデザイン設計するやり方を他社と重ならないようにすることが重要と考える。

私がデザインを起こすとき、単純に形状論を先行して仕事を進めていく。もちろんコンセプトは存在するが、それが単一化された目標(ゴール)ではない。また、デザインの入り口もコンセプトではない。私たちデザイナーは、形あるものをつくる場合、その形状の美しさも大切にする。(少なくても私はそう心がけるが、デザイナーのすべてがそうであるとは限らない。)

まず、デザインは分子レベルでとらえる。「線」という分子をデザインすることによって、その集合体は立派な立体図形、言い換えれば製品になる。この世の中に存在する全てのモノはこの「線」という分子で構成されている。美しいモノはこの「美しい線」の集合体といえる。

では、美しい線とは何か。それは、一本の線がもつ直線またはアール(曲線)とその長さ(ここでは太さは無視する)に関係する。
線には始点と終点が存在するが、この2つの要素のうち、大事なのは「終点」である。線のおわりが終点であるのだが、人の脳内では決してその終点ではその「線」はおわらない。残像としてその線の延長される方向を頭の中で作図するのである。その作図された線こそが美しい線か否かを判断する材料となる。

また、私自身が「美しい」と思える線には、 始点から終点(+残像)までに不自然な曲がりがないこと。
例えば、この線を曲線パイプに置き換えて説明してみよう。パイプの中に水を通す。曲がったパイプの中に水が流れたときに、どのアールにもストレス無く水が流れることが必要であり、もしくはストレスが平均的であることが美しいライン(線)の条件となる。

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