『ものづくり』からできること

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第11回
く う か ん (空間)

前回「青い空と白い雲」で背景と主体となる「モノ」について書きました。今回はそれに続くかたちで「空間」をテーマに綴っていきます。

「空間」はどの世界(業界)においてもとても重要なテーマです。空間というと先ず、建築業が頭に浮かびますが、エクステリアとインテリアに分けて考えると、エクステリアは街並みを空間に、インテリアは部屋の間取りや家具などの配置がそれにあたります。また、部屋の中にある「机」もひとつの空間にたとえる事ができます。PC、スタンドライト、時計、ペン立て、その他いろいろなモノが存在する「空間」です。そして、机の上にあるノートを開いてみるとそこにも空間があります。ページ毎にきれいにまとめられた文字の配列、グラフや図形がバランス良く描かれているのもこの「空間」を巧みにコントロールしているといって良いでしょう。

私たちは幼少の頃から空間を何らかのかたちで学んでいるのですが、お気付きでしょうか。たとえば、紙の上に絵を描くこと。文字を書くこと。そして半紙に筆を下ろす書道などを経験していると思います。このとき、四角い紙が空間であり絵や文字の配置が学習されているのです。それだけではありません。学校では朝礼などの時、校庭で生徒たちが整列しますよね。よく行われた「マエナラエ(イ)」。これも空間イメージのトレーニングだと私は思っています。
最近では老若男女、写真撮影を楽しまれる方が多くなりました。写真のフレーミング作業もまた空間です。携帯電話にカメラが付いているので、気軽に写真を撮ることができますよね。それも良いトレーニングではないでしょうか。

さて、ここで時代をさかのぼってひとりの人物を取り上げてみます。「空間」に異常なまでに執着した人物で、皆さんもご存知の安土桃山時代の茶人「千利休」です。織田信長、豊臣秀吉に仕えながらも、殿中の茶の湯に批判的な目を向けていました。彼は結局、秀吉の言葉(命令)により切腹してしまいます。(秀吉からは猶予をもたされていたが、利休は自分の考えを曲げず、死を選んだのです。)
利休は豪華絢爛とも言うべきそれまでの書院造の殿中における茶会・茶室(空間)をきらい、対局するひたすら「極小の空間」を求めました。また、「わび」の思想に必要なのは簡素な環境づくりだと悟ったのです。利休は自分の命とひきかえてまでその空間にこだわったのです。しかし、何故「わび」や「極小空間」なのでしょう?

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