『ものづくり』からできること

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第16回
「便利」が変える「プロと一般の差」

筆者は30年以上も写真を趣味としてきました。今では趣味が高じて事業のひとつとしています。それというのも、高校の入学祝いに父親から一眼レフカメラを買って貰ったのが始まりです。父は無類の機械好きでカメラや時計など実用以上に集めていました。コレクションというものです。我が子にその楽しさをカメラを通して教えたかったのか、それとも共通する趣味を持たせたかったのか、どちらにせよ私にとっては父親の影響が大きかったのです。こうして、デザイナーとなったのも、モノが好きというのが理由ですから。

私がカメラを手にしてしばらくはフィルムの時代が続きます。その当時のカメラはまだまだ男の道具であるというものでした。しかも、高校生ではカメラをごく一部の男子しか持っていませんでした。高価なものでしたし、それだけの金額を出すのであれば他の趣味に当ててしまうのだと思います。カメラ = マニアック という感じでもあり「カメラ小僧」という言葉もこの時代のものでした。

不思議ですよね、そのような時代を経て今、カメラは老若男女に受け入れられ、とても身近な道具として普及しています。たしかにこの業界では、メーカーをはじめ、関連商品を扱う企業の中で撤退や組織の形態を変えたところ、また販売戦略においての再構築化などで苦戦するところもあれば、異業種からの参入、協力など昔ではとても想像つかない変革もあります。それらは簡単に言ってしまうと、カメラがフィルムからデジタルになったことに完結します。

フィルムとデジタルの違い

私がはじめてカメラを手にした時にフィルムの装てんが儀式のように感じたことを思い出しますが、それと同時に不安になるときが何回もありました。恐らくフィルムカメラのウィークポイントの1つだったと思います。だからこそ、プロの写真家やカメラマンが存在し、ごく限られた世界(仕事)であったのかもしれません。もちろん、装てんだけの事だけではありません。その頃のカメラは乱暴に言ってしまうと、単なる箱に光を通すレンズが付いたもの。このブラックボックスに意図する画像が装てんしたフィルムに写されたかどうか、蓋を開けてみなければ分かりません。(実際はことわざとは違い、フィルムを現像するまでは分かりません。)鍛錬と経験による感がブラックボックスに納まるフィルムを商品化(成果物)させるのです。

一方、フィルムから変わったデジタルカメラは単なるブラックボックスではなく、フィルム装てんの儀式も無く、シャッターを押すごと(リアルタイム)に撮影データを確認できます。撮影者が意図する写真をモニターで確認できる為、何度でもトライができる、しかもフィルムと違って撮影可能枚数に限度が無いと言っていい。便利になったものです。失敗の軽減、ランニングコストの削減、画像処理の容易、管理、時間・・・挙げたらきりが無いほど良くなりました。

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