第20回
モノとモノづくり
2013.07.23 [星野 正紀]
「モノとモノづくり」って、何だろう?
私が、今までずっと考えてきたことをテーマに、この回(最終回)で締め括ろうと思います。
モノは道具として活躍します。それがモノに与えられる使命です。でも、それだけではありません。モノを購入(入手)する行為により欲求を満たせる場合があります。いいえ、すべてがそうである(欲求を満たす)と言い切ってしまっても差し支えないでしょう。モノによる幸福感。必要でなかったモノでも、買った時の喜びを誰もが記憶していることと思います。そして、モノの価値は、一概にその機能や性能だけで判断することが難しいと理解できます。モノを買わない生活は、ストレスのはけ口をひとつ失った様なもの。生きてゆく為には、新たなモノを手に入れることが習慣化され、また常に自分の気持ちを新しい期待に繋げる事、それがモノを購入する行為ではないかと思うのです。暮らしている(生きている)時間の中で「モノ」が退屈を埋めてくれる、そんな感じです。
また、こうやってモノが増えても道具であれば、次第に劣化し、やがて壊れてその多くは処分されます。それに、収納スペースにも限りがあるため、気持ちの整理と共に手放すことも考えるでしょう。しかし、新しくモノを買う作業は止まることがありません。私たちは生きている間、モノの購入を繰り返し、この循環こそが生活のうえで浄化作用となるのです。モノの大小に関わらず、そのモノに託される思いは大きく、そして果てしないのです。観て、触って、新しい思いを感じるのです。
それは、工業製品などの道具に限らず、毎日口にする食物、旅行やその他のイベントの商品、すべてのモノが私たちの生きている間に与えられる「喜び」そのものなのです。生きることに理由はありません。私たち人間は、時間と共に歩み続けます。モノが進化することによって社会環境の全般に影響し、私たちの個々の生活、慣習までもが変わっていくことになります。人によっては、その変化により生活が良くなることと思いますが、一方で悪くなるケースも出てくるかもしれません。後者にならないためにも社会に順応する力と知恵が必要になります。私も先の見えない未来があるからこそ、生きる糧となるのだと最近、思うようになりました。
私はモノを創る側の人間だと思っていましたが、間違いなく消費者の1人でもあります。これからは消費者の1人ひとりがモノに対するアイデアを出していく時代になっていくだろうと思っています。デザイナーというスペシャリストがいらなくなる日が近いのでは・・・という職の危機感すら覚えます。モノの成熟期と製造までの工程が一般的に認知され、プログラム化された現代では一般人でさえクリエイターになれる環境が備わっています。アイデアがあればモノができるインフラが構築される時代(次代)へと移り変わっていくことでしょう。
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