内山悟志の悠々快適エイジレスライフ

バックナンバー

第53回
40年ぶりの修学旅行

高校時代の同窓生で京都旅行が企画された。ちょうど40年前に修学旅行で訪れた場所の1つだ。時の流れを超えて集える仲間の存在に感謝した一泊二日となった。

筆者は長崎県の県立高校の卒業生であるが、旧制中学時代から数えて創立140年余り、前身の藩校時代からは340年以上の歴史を持つ高校であることもあって、伝統的に同窓会活動が盛んである。
我々の学年も10年ほど前から頻繁に集まり、飲み会、バーベキュー、ゴルフ会などを頻繁に開催している。年齢というのもあるのだろう。女性達は、子育てから手が離れ、仕事を持つ者もがむしゃらモーレツに働く世代を超えた頃だ。

そこで、企画されたのが40年前に修学旅行で行った京都にみんなで小旅行をすることだ。これまでも、少人数では国内外に旅行などをしたことがあったのだが、今回は、首都圏在住のメンバーが発起人となり、他の地域の同窓生にも声をかけて大々的に「大人の修学旅行」が企画された。
すると、首都圏から11名、その他関西、福岡、長崎からも続々と集まり、総勢31名の参加者となった。
まず、感動したのは幹事が、16ページにも及ぶ「大人の修学旅行の栞」を用意してくれていたことだ。旅程だけではなく、高校時代の懐かしい写真、レストランや観光地の案内、地図などを掲載したもので、これを全員に配布してくれた。実にきめ細かい心遣いではないか。

何名かの先発隊は前日から関西方面ですでに旅行を始めていたが、正式には各所からの移動を考慮して10:30に京都駅集合となった。集まった顔ぶれの中には高校卒業以来約40年ぶりという人もいる。全然変わっていない者、思い出せないほど変わっている者などさまざまだし、高校時代にほとんど喋ったこともない者もいた。
まずは、ランチ会場である先斗町の川床イタリア料理店にタクシーを分乗して向かった。昼からビールやワインを飲みながら語り合えば、しょっちゅう会っている友人のようにすぐに打ち解けるものだ。そこは同郷・同窓で同じ青春時代を過ごした仲間だからなのだろう。
同窓生というのは不思議なものだ。学生の時には、成績の良かった人もいれば、振るわなかった人もいる。人気者だった人もいるし、あまり目立たなかった人もいる。卒業して、一流企業に勤めた人、偉くなった人、金持ちになった人もいるだろう。あるいは、苦労した人もいるかもしれない。しかし、そんなことは、まったく関係ない。どんな立場でも、いつになっても、同窓生はフラットな仲間だ。

ランチを終えると、貸し切りバスが用意されており、いよいよ観光のスタートとなった。30名以上の団体となるため、先述の栞にて4~5名の班が編成されており、班長が決められていた。これもまた学生に戻ったようで、修学旅行気分を味わうことができる演出といえる。
移動中のバスの中では、郷土や母校に関するクイズなどをしながら歓談し、まるで本当の修学旅行のような気分を味わうことができた。

この日は、二条城と金閣寺を観光した。二条城は40年前の修学旅行のコースにも入っていたが、ほとんどの人はそれ以来だという。たしかに、仕事などで何度となく京都を訪れてはいるものの、こうした観光地にあらためて足を運ぶことはめったにない。このような機会がなければおそらく二度と訪れることはなかったのではないだろうか。一方、銀閣寺は修学旅行のコースに入っていたものの、金閣寺は入っていなかったため、今回初めて訪れるという者も多かった。大人の修学旅行なので、無理はせず一日目の観光は以上となった。
さて、次のお楽しみは大宴会である。いったん解散して各自ホテルにチェックインし、夕刻宴会場に集合した。会場は、四条大宮の居酒屋の座敷を借り切ってある。近況を報告し合ったり、昔話に花を咲かせたりするうちにあっという間に中締めの時間となった。そして、二次会はカラオケ店の大部屋が2室予約されており、全員が参加して大宴会が続いた。お開きは23時過ぎとなったが、ホテルに帰る人、三次会に行く人など三々五々解散となった。

二日目は各自朝食を済ませて集合し、清水寺に向かった。ここも40年前に訪れた場所だ。一通り観光し、最後に全員で記念撮影をして全日程を終了した。短かったが、とても充実した時間を過ごすことができた。
ここに集まることができた同窓生たちは皆、幸せだと思う。
それは、忙しい日々を過ごす中でも何とか時間を作れたこと、そして京都まで出かける金銭的な余裕があったこと、健康な体を維持できていたこと、頭もまだまだボケていなかったこと、そして、何より快く送り出してくれる家族がいたということだ。これらの1つが欠けてもここに来ることはできなかったのだ。
そして、何十年経っても会いたいと思える友がここにいる。これからもこれらを大切にしていかなければならないと、皆があらためて思ったことだろう。5年後なのか10年後なのかはわからないが、もしもう一度このような企画を催すことができた時、また同じように集えるように。

コメント