大震災特別寄稿

バックナンバー

第6回
フロムナウ取材陣が感じた震災41日後の“福島”〜その2〜

原発まで20km地点、そして誰もいなくなった飯舘村へ

「行けるところまで行ってみよう」

そんな思いで南下していくと、東北電力の原町火力発電所が見えてきた。発電所の隣は、夏になると大勢の人で賑わう海水浴場が広がっている。我々は、この一帯を見下ろせる公園に車を停めた。高台から見下ろす光景は、一段と厳しいものだった。目の前にある原町火力発電所は、施設全体に大きな被害を受けている。巨大なタンクは潰れ、震災直後は火災も起きたという。見渡す限り住人の姿はなく、作業しているのは地元消防団か自衛隊の人だけ。我々としても、多くの瓦礫が残る海岸沿いを丘の上からジッと眺めるしかない。無力感に包まれたまま地震が起きた午後2時46分を迎え、取材陣もこの場所から海に向かって黙祷を捧げるのだった。

相馬市から南へと海岸線沿いを進んできた取材陣。その前に、もうこれ以上、前には進めない場所へとたどり着いた。福島原発まで20kmという地点である。この先は、立ち入ることができない「警戒区域」、許可がないと立ち入ることはできない。仰々しい規制がひかれているのかと思ったのだが、ここでも予想とは違う風景に出合う。取材陣が訪れた場所は、単に道をガードレールでふさぎ、1枚の立て看板を置いてあるだけだったからだ。車を降りると、静けさに包まれている。当然である。周囲にいるのは我々だけ。建物や車はあっても、その持ち主はここに居ない。道を行き交う車も歩行者もいないのだ。ゴーストタウンと表現するのは簡単だが、ほんの1カ月ほど前まで、ごく普通に人間が生活をしていた場所だったはずである。「こんな街に誰がしたのか」と叫びたくなる。

目を背けたくなるような厳しい状況の中、一瞬だけ心をいやしてくれたのは、地震にも津波にも、原発事故に負けることなく生き抜いている植物だった。基礎しか残っていない住宅の庭には、次の世代へと命を受け継ぐために、花を咲かせている草花が残っていた。

「何もかもがなくなってしまったかのように見えますが、植物はまだしっかりと生きにいています。草花、そして木々。植物たちは、人のように逃げることはできません。この場所で懸命に生きていこうとしています。我々も現実から目を背けずに、頑張っていかなければいけませんね」と田中氏。

全ての取材を終えて福島市内へと戻る途中、街道沿いの牧場で元気に駆け回る馬の親子に出会った。場所は、全国的にも有名になった飯舘村である。「もしかすると、この村も、人が入れなくなるかもしれません」と語った山口氏の言葉通り、5月いっぱいで村外へと避難するよう、飯舘村役場は村民全員に対して指示が出された。あの馬たち、そして街道沿いから見た牛舎にいた牛たちはどうなったのか……。我々が取材で訪れた福島県浜通り。津波の被害も大きかったが、その後の原発問題によって、さらに追い打ちをかけられた。4カ月以上たった今でさえ、良い話が全くといっていいほど聞こえてこないのだ。

フロムナウとしては今後も取材を続け、福島の人が自信を持って前に進み出せるようになるまで応援していく考えだ。読者の方も実被害、風評被害、この2つの痛みを背負わされた福島の方と気持ちを1つにして、支援を続けていってもらいたい。

コメント