第4回
やるときはやるシニアボランティア
~東日本大震災で見えたもの~
2011.10.25 [松本 すみ子]
ボランティア志願に並ぶ人たち
「3.11」の東日本大震災では多くのボランティアが岩手、宮城、福島などの被災地に出かけていきました。何をすれば、被災者の力になれるのだろう。いても立ってもいられない思いを抱いた人は多いはずです。シニア世代も例外ではありません。動いた人たちがたくさんいます。自分なりにできることをやる。やりたいことからやる。シニアボランティアならではの行動があります。
支援物資支分け体験記
私の故郷は仙台。実害はなかったものの、今回の地震と津波報道では被害者に近い心理状態となりました。しかも、仙台空港のある岩沼には姉夫婦が住んでいます。新幹線がやっと開通して、仙台に行けたのは5月の連休でした。
津波で壊れた家
できれば被災地の取材もしたいと(取材なんかしていいのか、という気持ちもどこかにありましたが)、出かけようとする私を姉夫婦は止めました。「海側はまだひどい状況だから、歩いている人なんかいない。それに、大きな余震が起こり、また津波が来たら逃げるところなんかない。ひとりで行くのは絶対にだめ!」。ということで、義理の兄がなんとか車を出してくれることになり、姪っ子も同乗し、1時間の期限付きで海岸方面へ。その時、デジカメ動画(※)も撮りました。
肝心のボランティアですが、そんなこんなで出遅れてしまい、岩沼ボランティアセンターに着いた時には、「今日の定員はいっぱいです」と言われるはめに。「ボランティアに定員なんてあるの? まだ午前8時半だよ!」。どうしようかと思案しているうちにも、後から後からボランティア志願者がやってきて、皆ことごとく断られています。ほとんどが東北以外の遠方から来た人たちで、スコップを持参し、身支度も重装備。それなのに、断るんですね!
仕方なく、私たちは岩沼駅に向かいました。すると、駅構内に医師の有志が運営する被災地写真展示コーナーを発見。その凄まじさをしばし眺めていたら、「ボランティアはいくらいても足りない。紹介しますよ」という声が聞こえたのです。
こうして、この日は急遽、午前10時からお昼をはさんで(もちろん自分で持参)午後4時までみっちり、市民団体の支援物資仕分けを行うことになりました。終了後、ここでのボランティア仲間5人と、地元の世話人を交えた休憩では、地震当時の生々しい様子や、実はね...という話も いろいろと聞かせてもらいました。
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