第8回
使い古された鉛筆で
2015.03.24 [寒川晶子]
芸術作品は、作品らしさを持ち備えたものは勿論のこと、さりげなくて主張のないものもあると思います。このさりげないものを気づいて表現するのはアーティストの仕事でもありますが、さて、それではアーティストってどんな生活を送っているの?といった疑問にもなるのではないでしょうか。
会社のように事業を起こして毎日決まった時間にデスク(or アトリエ)で作業する作家もいるでしょうし、全く日常がみえない作家もいます。全く日常がみえない、というのは、普段何をやっている人なのかが外見で判断できないことです。「この人何をやっているの?」と噂話をするかのような質問に、ビックリする返答があるのも度々。それは、その不思議な人が実は著名な作家だということなのですが…
探求心のままに行動し、そこには周りの評判などあってもない世界。繕うこともなければ主張をしないアーティストもいて、私はそんな方との出会いをする度に、ただ素直によろこぶこと、ただ素直に感じることの大切さに気づかせていただきます。
そういったアーティストは世界で著名になるのか、と言われれば著名にならないこともあるだろうし、あるいは誰でもオーラを感じるような存在で著名な方かもしれません。しかし著名になる / ならない も、社会にある一つのものさしでしかありませんね。
最近、シンプルな世界をみるために私はこれから生きたいな、と思い、そのために日常に何をやっているかの主張をするわけではないのですが、現代に生きている限りはその社会の中に見るべきものはおそらくたくさんあって、それらを知る環境がたとえアート(芸術的)ではなくても自分で体験してみたいと思いますし、そのときの私は周りにとって不思議な人であるかもしれません。笑 できれば繕うこともなければ主張をしないアーティストを目指したいですが、自分がみてきた尊敬に値する人には、あの世にいっても追いつけません!
使い古されたものの劣化が激しいほど美を感じてしまうのは、生きたいという根源的な欲望と繋がるような気がして、だからこそそういうものを見て体験してからが、自分にとっての創作人生のスタートかもしれません。
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