文化とアートのある暮らし

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第5回
「Sonic Experience」~音のバリエーションを探して~

私も「ピアノの70年代」というテーマでピアノを演奏させていただいたのです。
1.「しばられた手の祈り」(1979)高橋悠治作曲
2.「リモート・ミュージック」(フルクサス)ラリー・ミラー作曲
3.「レジスター」(1963)ルイス・アンドリーセン作曲
4.「ピアノメディア」(1972)一柳慧作曲
5.「分散・境界、砂」(1976)坂本龍一作曲
6.「A TRIBUTE N.J.P」(フルクサスに関わったナム・ジュン・パイクへのオマージュ作品 N.J.Pは、ナム・ジュン・パイクの略 1984)坂本龍一作曲
7.「フォーリング・スケール」(1975)藤枝守作曲

1970年代に日本の作曲家によって生まれた作品を中心に、1970年代の前身になっている1960年の作品を2つ。図形楽譜と特殊な奏法も盛り込まれた「レジスター」と、フルクサスメンバーのラリー・ミラーによる「リモート・ミュージック」を。「リモート・ミュージック」は、滑車によって吊した手でピアノの鍵盤を一音奏する作品で、思考と手が本来繋がっている人間の身体をあえて分離させ、遠隔によってなかなか自由にコントロールできない状態になることで、「演奏」と「身体」の関係を考えさせる作品でした。

リモート・ミュージック


五線楽譜を読んで指で演奏する、といったピアノ演奏ではあたりまえになっていたことを、肘での奏法や手を滑らす(グリッサンド)ことを多用することであたりまえの概念を超える「レジスター」の作品と、「フルクサス」のパフォーマンスをプログラムに盛り込ませることで、その少し後の1970年代が、より応用され、洗練されて作品が生まれてくることが読み取れました。
藤枝守さんの「フォーリング・スケール」は、とても抽象的な作品で、音が空間に降ってくる、あるいは3Dのように目の前に立体的にあらわれるような、そして純粋な作品。
音の抽象世界は言葉よりも体験してみることで理解が深まることでしょう。コラムで書ききれないのがもったいないですが、是非一度生で体験していただきたいものです。

ピアノソロ


1960年代は、50年代に生まれた図形楽譜が多様化し、楽器の演奏法もバリエーションが増え、バロック期から近代までに築いてきた西洋クラシック音楽の概念を揺るがした時でした。
調性感のないもの、形式のないものが多く、時にはセリフや身体表現も音楽の一つの素材として多用されます。また、西洋クラシック音楽の中で理想を重ねて完成してきた「ピアノ」は最も象徴的な楽器として名高く、明治時代に大量生産されたものが日本国内に輸入されます。
気がつけばあっという間に世界の先進国で標準化した楽器となっていました。

同時に、ピアノによって音のピッチが均等化され、「平均律」という言葉と共に世界に馴染んでいくのですが、本来、弦が持っている自然で純粋な響きは失われていきます。
ピアノを習っていると必ずテキストになるJ.Sバッハの「ウェル・テンペラメント」は日本語で「平均律クラヴィア曲集」と訳されるのですが、ここで言葉の解釈を誤るととてももったいないでしょう。
たとえピアノに制限があっても、「音」自体には制限がありません。どんな環境でも応用できるように作られ、全世界に統一的になった一つの「型」がピアノであり、そこには複数に広がる可能性をあえて隠しているのです。今後、その隠された面白い部分を再び引き出して音のバリエーションを知るきっかけをどんどん広げていきたいですね。「音」をもっと視たいと思いませんか。

はるか古代から現在まで、時代を超えて存在している「音」ですが、そんな「音」の研究を、例えば自然と音の関係、ピッチのこと、さらには廃材をつかっての原始的な手作り楽器の研究など音のいろいろを引き出す研究室が、九州大学の藤枝研究室です。

作曲家の藤枝守さんをはじめ、この研究室の皆さまと一緒にイベントを行うこと、またここでピアノの演奏会をさせていただいたことに大きな意味を感じましたし、今後何かもっと「音」の面白みを追求できる、そんな期待がありました。

最後は、アメリカの著名な作曲家、テリー・ライリーさんの代表的な作品「in C」を演奏してイベントは幕を閉じました。


2014. 12.20 / 12.21 九州大学大橋キャンパス音響特殊棟録音スタジオにて

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