コミュニケーション達人への道

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第60回
察するコミュニケーションと伝える技術①

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「花が美しいのは、ただ黙って咲いているから。」

三輪明宏さんのこの言葉に共感できる人が多いのでは?
日本人はそもそも器用に話す人やおしゃべりな人に対して好感を抱きにくいと言われています。

私たちは昔から阿吽の呼吸、沈黙は金なりなど言葉に頼らず、空気を読むコミュニケーションを好んできました。
間、隠喩や暗喩などの比喩の技法を用い、直截的に伝えずに余白のあるコミュニケーションは“曖昧さ”の中に思い遣りや美しさを含ませる、そんな察する文化をコツコツと積み上げてきた日本は、言葉にしなくとも雰囲気や空気に漂う微妙な感情を拾い上げる感覚が研ぎ澄まされている国なのです。
だからモノ・ゴトをストレートに表現する事を嫌う人が多いのではないでしょうか。

この様な“察する”コミュニケーションはストレートに伝えるコミュニケーションに対する苦手意識を生み出しています。

本屋さんのビジネス・自己啓発系の棚には「伝える」「伝わる」「話す」「プレゼン」などのタイトルが多く並びます。余談ですが私もその様な書籍を出しておりますが多くの関連書籍が並ぶ中、幣著を手にしてもらうのは中々難しいものだと実感しています(笑)。
そもそも言葉にしなくとも何となく解ってくれるという“察する”コミュニケーションは本来身内や仲間という前提があってこそ。
移民を受け入れたり、多国籍だったり、色々な民族が暮らしていたりと同じ国でもコミュニケーション文化が異なる国では、異なるコミュニケーション文化の人と共通言語を定め、それを使ってストレートに伝えなければ伝わらなかったのです。
例えばアメリカは様々な異なる文化の人達が住んでいます。だから伝えたいことをストレートに伝えないと伝わりません。だからアメリカの大統領の就任演説はとても解りやすく、この演説を聞いた国民の多くが理解できるストレートな表現と内容で構成されています。 かたや日本の政治家のスピーチは「遺憾に思う」や「憂慮する」等、日常会話で余り使われない言葉を使用したり、曖昧な表現が多い傾向は否めません。

本題に戻りますが、多国籍、異文化コミュニケーションの国では、伝える技術、プレゼンテーションやスピーチの技術が磨かれました。
けれど日本は間や言い方の微妙なニュアンスで思いや感情を暗に伝え、察する技術を磨いてきました。同じ仲間でのコミュニケーションに親しんできた私たち日本人は、異文化コミュニケーションの必要に迫られる機会に余り恵まれなかった為、ストレートに伝える技術の習得がおろそかになったのかもしれません。

これから多くの外国人が日本を訪れるだけでなく、住み始める時代になっていくでしょう。さらに少子高齢化が進む中、多くの産業が雇用人材不足となることは確定的です。プレゼンテーションやスピーチという技術は今のうちに学び、習得し異なるコミュニケーションスタイルの人に伝えられるようになっておきましょう。

次回はそのプレゼンテーションやスピーチについて述べていきます



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