第7回
オリンピックを楽しむための、 日本語教育の歴史案内
2012.07.31 [村上 充]
日本語学習者向けのテキストといえば、最初に出版された外国人の日本語テキストはどのような目的のために作られたものなのか、ご存知ですか。
それは、フランシスコ・ザビエルたち、イエズス会の来日にまでさかのぼります。1549年に来日したザビエル一行は、宣教師としてキリスト教を広めるためには、日本語の習得を最優先すべきと考えました。当初は、宣教師たちがそれぞれ努力して日本語を学んでいましたが、その環境を設備し、日本語教育の充実を図ったのがアレッサンドロ・ヴァリニャーノです。
織田信長や豊臣秀吉に謁見(えっけん)したこともあるヴァリニャーノは、1590年の再来日時に、西洋印刷機を日本に持ち込みました。その後、1593年に、ローマ字版の『平家物語』や『伊曾保 (いそほ)物語』(『イソップ寓話集』の翻訳)が、日本語会話のテキストとして発行されています。1595年には、ラテン語、ポルトガル語、日本語の対訳辞典『羅葡日(らぽにち)対訳辞書』が編纂されました。1598年には、漢字学習のための『落葉集』が、1603年には、約3万2000語の日本語が、ABC順に配列され、ポルトガル語による解説がなされた本格的な対訳辞書『日葡辞書』が完成しています。ところで、テンプラ、タバコ、カルタなどの言葉、ポルトガル語が語源なのですが、今ではしっかりと日本語として根付いていますよね。
印刷機により文法書や辞典など多数の書物を刊行したため、宣教師たちは、来日1年で告白を聞き、日本人と交流できるようになっていると記された手紙が残っています。この日本語のスピード上達ぶり、本当なのか、タイムマシンがあれば、のぞいてみたいものです。
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