第7回
オリンピックを楽しむための、 日本語教育の歴史案内
2012.07.31 [村上 充]
続いて、海外に進出した、いや、進出してしまった日本語教師の話です。
その人の名は、「伝兵衛」です。名字は分かりません。なぜなら、彼は、江戸時代中期(1695年頃)に漂流してロシアに流れ着いてしまった大阪の商人で、帰国はできず、ロシア側の記録に「デンベイ」という名前が残っているだけだからです。記録上に残る、初めてロシアを訪れた日本人、初めて正教徒に改宗した日本人、そして、海外で日本語を教えたとされる人物でもあります。なんと、ピョートル大帝に謁見(えっけん)し、勅命により日本語学校まで開設しています。1841年に漂流してアメリカの捕鯨船に救われ、10年後に帰国してきたジョン万次郎は、今では、居酒屋チェーンに名前が使われるくらい有名です。でも、伝兵衛さんの人生も負けずにドラマチックですよね。
最後に、オリンピックで日本がメダルを一番期待できるお家芸といえば、柔道ですよね。「柔道の父」と呼ばれ、日本人初のIOC委員となり、オリンピックへの初参加、東京オリンピックの誘致に尽力した人物と言えば、嘉納治五郎です。オリンピックに参加する柔道選手は、必勝を祈念し、嘉納治五郎のお墓参りに欠かさず出掛けるそうです。実は、嘉納治五郎は、教育者としても高名で、筑波大学や熊本大学の校長を務めたこともあります。日清講和条約の翌年となる1896年には、36歳の若さで牛込に宏文学院という、中国人(清国)からの留学生を受け入れる教育機関を設立しています。これが、最初の中国人留学生の受け入れとなります。最終的に7,000人を超えた入学者の中には、魯迅(ろじん)も含まれています。ちなみに、最初の日本への留学生受け入れは、1881年に来日した2人の韓国人学生と言われています。そして、彼らを託されたのは、福沢諭吉です。
異なった文化、言語を持つ人々が交流する時、そこには衝突もありますが、融合し、新しい可能性が広がることもあります。平和の祭典と呼ばれるオリンピックが、世界の人々が、違いを認め合って、相互理解を深めるきっかけになればいいですね。
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