第12回
日本語教育の現場リポートⅡ ――ボランティア 千田茂さんに聞く(前編)
2013.01.22 [村上 充]
千田茂さん
今回は、関西で日本語ボランティアに参加して16年になる、千田茂さんを紹介します。
昨年、還暦を迎えた千田さんは、長年勤めてきた公務員としての仕事を2年前に辞し、現在は、公共施設の嘱託職員として働きながら、3カ所の団体で、日本語ボランティア活動に参加しています。
――日本語を教えてみようと思ったきっかけは?
大阪市で公務員として働いていたのですが、30代・40代の頃に、国際交流関係の仕事を担当し、そこで、外国人と触れ合う機会が多くありました。また、シンガポールに4年間赴任したこともあったんですね。それは、80年代で、日本がバブル景気に沸いていた時期だったこともあり、アジアで、日本語熱が急激に高まっていたんです。現地の日本語学校を視察し、熱心に日本語を学ぶ学生たちの姿を目の当たりにして、日本語を教える仕事に興味を持ったんです。でも、そこで教えていた日本語教師に、「日本人なら誰でも日本語を教えられるわけではありませんよ。教えるためには、きちんと知識を身に付ける必要があります」とアドバイスされたんです。
――なるほど、シンガポールでの海外経験がきっかけとなったわけですね。
そうです。それで、帰国後、いつかは日本語を教えてみたいなと思い、独学で、日本語教育の勉強を開始したわけです。当時は、働いていたので、日本語ボランティアに参加しようと意識していたわけではなく、いつの日か、日本語学校で教えられるといいなと、漠然と考えていたんです。そんな風にのんびりと考えていたのですが、1995年の1月、地元の神戸が大きな地震に襲われました。私の家は大丈夫でしたが、多くの外国人が、日本語ができないため、必要な情報が入手できずに、困っている、という情報が入ってきました。神戸は国際都市と呼ばれ、多言語化が進んでいた地域ではありますが、いざという時には、基本的な日本語が必要になる。地域に暮らす外国人のために、私も何か行動しなければ、と心に決めたんです。
――そこで、日本語ボランティアに参加したわけですね。
いえ。シンガポールで会った日本語教師の言葉が印象に残っていたので、まずは、教えるための力をしっかりと身に付けようと思いました。そこで、土日の夜に開講する社会人向けの日本語教師の養成講座に2年間通って、96年末に修了したんです。学校で勧められ、力試しと思って「日本語教育能力検定試験」も受験したところ、なんとか合格できました。
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