江戸の名残を歩く

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第8回
水戸徳川家ゆかりの小石川界隈を訪ねる・その2

写真の左側が慶喜屋敷だった場所

小石川界隈に水戸藩のゆかりを訪ねてきましたが、最後に江戸時代を終らせた将軍徳川慶喜ゆかりの地を訪ねます。慶喜は水戸藩主徳川斉昭の7男として、小石川上屋敷内で生まれました。

後に水戸藩から徳川御三卿の一つ一橋徳川家の養子となり、一橋慶喜と名乗ります。そして、慶応2年(1866年)12月に最後の将軍となりますが、1年も在職せず大政奉還。慶応4年(1868年)1月には鳥羽・伏見の戦いで破れて朝敵となります。

慶喜終焉地の説明版

その後、水戸で隠居生活を送った後、静岡に移ります。30年ほど過ごしますが、その後東京に出て、巣鴨に住みます。そして、明治34年(1901年)に小石川の地に転居しました。春日通りに隣接する東京メトロ小石川車輌場の辺りです。

慶喜屋敷内にあったイチョウの木
イチョウの説明碑

春日通りから新坂という坂を降りていくと、丸の内線が地上に出ている辺りに大きなイチョウの木があります。慶喜が住んでいた屋敷内にあったイチョウが保存されているのです。現在は、国際仏教学大学院大学の構内になっており、「徳川慶喜公屋敷跡」という碑も建てられています。

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