第27回
山岡鉄舟が眠る谷中を歩く
2012.07.31 [安藤 優一郎]
谷中に行くには日暮里駅のほか、千代田線千駄木駅や根津駅から行く方法もあります。3回にわたって日暮里駅からスタートしましたが、今回は千駄木駅から谷中を訪ねましょう。
三崎坂
寺への入口
千駄木駅から地上に出ると、不忍通りが走っています。道を三崎坂に取り、坂を上っていきます。坂道に沿って昭和の世界が蘇ってくるような店が次々と現れますが、最初に大円寺に立ち寄ります。
お仙の碑
この寺院には、境内に笠森お仙の碑があります。お仙は、この近くに鎮座していた笠森稲荷門前の茶屋で働いていた看板娘ですが、浮世絵師の鈴木春信が描いたことで江戸中の人気を得ます。今で言うアイドル的な存在になりました。
この笠森稲荷が大円寺に合祀されたことで、後に文豪永井荷風によってお仙の碑が境内に建てられたのです。
大円寺を出て、再び三崎坂に出ます。坂道を少しのぼっていくと、全生庵があらわれます。
全生庵入口
この寺院は、幕末から明治維新にかけて国事に命を捧げた人々の菩提を弔うため、明治16年(1883)に山岡鉄舟によって建立されました。鉄舟と言えば、江戸城無血開城の陰の立役者でもありますが、明治に入ると、天皇に侍従として仕えます。天皇の教育係になったのです。
鉄舟は剣・禅・書の達人として知られます。無刀流の開祖で、自分でも道場を持っていました。「禅」は箱根で悟りを得ましたが、弟子の一人に怪談話でも知られる落語家三遊亭円朝がいます。そして「書」ですが、頼まれれば必ず揮毫したため、現在も鉄舟の書は数多く残されています。
鉄舟の墓所
山岡鉄舟の説明
そんな鉄舟も、明治21年(1888)に死去します。享年53才でした。この全生庵に葬られます。
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