江戸の名残を歩く

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第32回
浅草で江戸城の面影に出会う

浅草橋のたもとには、かつて幕府が造った城門がありました。浅草御門といいます。何のために造られたのでしょうか。
幕府は江戸城を守るため、36ケ所もの城門を造りました。俗に、江戸三十六門、江戸城三十六見附といいます。見附とは、城門に作られた番兵の見張所のことです。地下鉄の駅名として赤坂見附がありますが、まさに赤坂御門に付設された見附が駅名の由来となりました。
幕府は江戸城の北の守りを固めるため、神田川に沿って数ケ所城門を造りました。浅草橋のたもとにも造ることになり、寛永13年(1636)に浅草御門が誕生します。

浅草見附の碑

そして、御門に付設して見附も造られました。現在は浅草御門も見附もありませんが、浅草見附の石碑は浅草橋のたもとに立てられています。


日本橋馬喰町の問屋街を臨む

浅草橋を渡りましょう。江戸の頃で言うと外堀を渡った格好ですが、現在で言うと台東区から中央区に入ったことになります。この界隈は日本橋馬喰町と言いますが、浅草橋と同じく問屋街でもありました。扱う商品は衣料品が多かったようです。今も馬喰町を歩くと、衣料品関係の店を数多く見かけます。
浅草橋界隈は、江戸城の城門が置かれた軍事上の要衝であると同時に、問屋街として江戸のエンタメやファッションを支えた町でもあったのです。

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