第4回
江戸時代の結婚・離婚事情
2013.05.14 [安藤 優一郎]
八重と居候の川崎尚之助は、兄の山本覚馬がキューピット役を務める形で結婚します。
ですが、当時の慣習からすると八重は晩婚でした。江戸時代の女性の場合、二十才は結婚適齢期を過ぎているのです。
江戸時代の婚姻事情について少し触れておきましょう。
当時、女性は今でいうと高校生ぐらいの年齢で結婚するのが普通でした。
中学生ぐらいの年齢で結婚するのも珍しくありません。
ですから、十代のうちに結婚させようと親は必死になります。
二十才を過ぎると結婚できないというわけではありません。
しかし、その場合は後添えということが多かったのです。妻に先立たれてしまった男性、あるいは離婚経験のある男性に限られてしまうため、後妻の話しか来ない場合が多かったのです。
それも、かなり年上の男性でした。二十才ぐらい年の離れた年の差婚も普通でした。
当時は、お見合い結婚が主流でした。
現在のように、出会いの場を取り持ってくれるイベント会社もありません。
会津には、「ならぬことはならぬものです」という言葉に象徴される「什の掟(じゅうのおきて)」というものがありました。
「年上の言うことに背いてはなりませぬ」
「うそを言うことはなりませぬ」
「卑怯な振舞をしてはなりませぬ」
など七カ条にわたって、子どもたちが守るべきことが定められています。
その七条目が
「外で女性と言葉を交わしてはなりませぬ」
という条文でした。
会津では、男の子と女の子が外で話をすることが禁じられていたのです。
これでは出会いのチャンスはないわけですから、お見合い結婚が主流だったのもうなずけます。
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