大河ドラマ「八重の桜」の世界をめぐる

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第4回
江戸時代の結婚・離婚事情

山本家では、父の権八と母の佐久が気をもんでいました。
二十才近くなっても、八重の縁談がまとまらなかったからです。
実際、八重に縁談話が舞い込んだかは分かりません。
しかし、鉄砲マニアの女性で、家では射撃訓練ばかりしている女性ですから、なかなか話がまとまらなったのも仕方なかったでしょう。

そんな家族の心配をよそに、八重は相も変らず射撃訓練の毎日でした。
そんな八重を心配して、京都にいる兄・覚馬は川崎尚之助との縁談を勧めてきました。
八重の妹婿つまり会津藩士の義弟にすることで、尚之助が会津藩士に採用されやすくなるのではと考えたようです。実際、結婚の翌年に会津藩士に取り立てられます。

尚之助は山本家の居候として、八年も同じ屋根の下で暮らしていました。
八重は尚之助を兄の友人程度にしか思っていませんでしたが、やがて覚馬はいなくなり、尚之助がその代わりのような存在になりました。
そしてこの年、八重は尚之助との結婚を決意するのです。

なぜ、八重は尚之助との結婚を承諾したのでしょうか。
八重としては、覚馬の勧めということが一番大きかったのではないでしょうか。それまで八重は、何かと覚馬を頼りにしてきましたし、精神的な支柱でした。まさしく八重はブラコンだったのです。
そんな兄からの勧めですから、とまどいはあったでしょうが、自分の運命として受け入れたのでしょう。また、このまま独身でいることの焦りもあったことでしょう。相手の尚之助とも、すでに心が知れた仲でしたしね。

尚之助にしても、兄貴分として慕ってきた覚馬からの勧めですから、八重と同じく運命として受け入れたのではないでしょうか。
ですから、二人は愛情をもって結ばれたというより、会津藩のために奔走する覚馬を慕う同志として心が結びついたといえるかもしません。本当の気持ちは二人にしか分かりませんが、二人の結婚には兄の覚馬の存在は欠かせませんでした。

しかし、京都にいる覚馬は二人の結婚を境に、身体に異変が生じてきます。
そして、八重・尚之助夫婦にも暗雲が立ち込めてくるのでした。

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