大河ドラマ「八重の桜」の世界をめぐる

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第5回
覚馬の異変

綾野剛さん演じる松平容保(かたもり)が率いる会津藩士約千人は、京都で約五年間過ごしました。
覚馬もその一人です。
山本家では、慶応三年(一八六七)に弟の三郎も京都に向かいました。

容保以下会津藩士たちは、はじめは巨大な境内を持つ金戒光明寺という寺院で生活していました。
その後、京都御所や二条城にも近い場所に守護職の屋敷が完成し、京都で活動する尊王攘夷(そんのうじょうい)の志士たちの動向に目を光らせました。

容保は京都で守護職を勤めるにあたって、役職手当として五万石を与えられました。
会津藩の石高は二十三万石ですから、実質二十八万石となりました。
ところが、京都での出費は莫大でした。
単に、千人の藩士が住んでいるのではありません。
京都市内を絶えず警備し、軍事訓練もおこなっていました。
もろもろの費用を合わせると、年間で九万六千七百九両にも及んだといいます。

現在の貨幣価値にたとえると、十数億円にのぼります。会津藩の年間収入は二十一万六千両ほどでしたから、約半分が京都での出費で消えていた格好なのです。
そのほか、会津や江戸での出費を含めると大幅な赤字となるため、借金の繰り返しにより糊口(のりぐち)をしのいでいました。

容保の守護職在職期間が五年にも及ぶことで、会津藩の財政は火の車でした。毎年赤字であり、借金も膨らんでいきました。
そのしわ寄せを受けるのは、社員というべき藩士たちでした。
なかでも、京都詰めが長期化した藩士の家庭は崩壊していきます。覚馬の家庭も例外ではなかったのです。

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