大河ドラマ「八重の桜」の世界をめぐる

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第6回
弟と父の死、そして夫との別れ

八重を始め女性たちも命がけで籠城戦に参加したものの、会津藩を取り巻く状況は悪化の一途をたどっていました。同盟を結んでいた仙台藩や米沢藩などが次々と降伏し、孤立無援の状態になっていたのです。
追い詰められた会津藩は九月十五日、最後の大規模な攻撃を仕掛けますが、敗退します。その戦いで、父の権八が戦死してしまいます。

会津藩としては容保以下藩士一同、城を枕に討ち死にする構えでしたが、このころより降伏を模索する動きがはじまります。
二十一日、会津藩は発砲を中止します。容保は、家臣一同に対して降伏・開城する旨を伝えました。
降伏の日は翌二十二日。会津藩は白旗を掲げましたが、その夜、八重は次の歌を詠みます。

明日の夜は 何国(いづこ)の誰かながむらん なれし御城に残す月かげ
(明日の夜になれば、城を照らす月明かりを、会津の人以外の誰かが眺めるだろう)

男勝りの女性でしたが、女性らしさが感じられる歌ではないでしょうか。

翌朝、籠城していた容保と藩士たちは城を出て謹慎先の猪苗代などに向かいます。
このとき、八重は夫・尚之助と離別したようです。罪人となった会津藩士の一人である以上、処罰は避けられません。妻の八重を巻き込みたくないという気持ちから、尚之助の方から離別を申し出たのでしょう。その後、二人が再会することはありませんでした。

しかし、辛いことばかりではありませんでした。
兄・覚馬も京都で生きていました。そして八重は、京都で新しい伴侶(はんりょ)に出会います。その名は、新島襄(じょう)。
新島八重としての人生は、鶴ケ城落城から八年後の明治九年(一八七六)からはじまるのです。八重の波乱の人生は、再びはじまるのでした。

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