人はなぜ『道』を探すのか?庭道への道

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第5回
庭道

■「造形」と「ありのままの姿」の調和

原生林や野草は、自然そのものであり「ありのままの姿」といえますが、庭(家庭菜園含む)や観葉植物は人の手が入ったものです。
手を入れる際は、木や植物が本来持っている、ありのままの美しさを活かしながら、造形することが大切です。
庭や観葉植物は、それ単体の造形ではなく、周囲との調和の中で描かれているからです。また、縁側から眺める庭のように、絵画や写真のような平面(二次元)の美しさだけでなく、庭の中や木の下に立って見たりする立体的(三次元)の美しさをも兼ね備えているからです。
触ったり、香ったりして空間全体を楽しむものなのです。

■「静」と「動」の調和

絵画や彫刻などと庭の違いは、庭が生きているということです。
庭や木は、一見に動かないように見える「静」の芸術と思いがちですが、実際はそうではありません。
庭や木は、生きています。ですので、ある時点で美しいということと同時に、1カ月後、1年後、10年後にどのような姿となっているのかを想像しなくてはなりません。
庭の美しさには、時間軸の考えが必要であり、「動」の芸術という面も持っているのです。

■「庭を育てる」ということ…

庭を育てるということは、人を育てることと似ています。
歩みを止めて、さまざまな角度から見てあげなければなりません。
庭造りにも、人生にも、ストーリーが必要です。
どうなりたいか、どうしたいかをイメージして、その姿に向かうように愛情と根気を持って接していくことが大切です。
包含することだけでなく、時には対峙することが必要なこともあります。
それも含めて、長い時間をかけた関係作りといえるのです。

庭道は、生きた植物とともに、生きるストーリーを描いていきます。生きた植物は、個々人が描く最高のストーリーのヒントを 教えてくれることでしょう。ストーリーが出来上がると、これまでと全く違った自然や緑との接し方が生まれてきます。
身近な草花や樹木までがとても親しみやすい存在に感じ、人々の心が、自然との共存、緑への思いやりへ変わっていくのです。
自然からたくさんの恵みを受けて、自然に生かされている私たちは、今こそ庭道を通じ、豊かな心と人生を歩んでいくべきでしょう。
皆様とともに生まれたままの心のあおさを忘れず、生かされ続けていきたいものです。

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