人はなぜ『道』を探すのか?庭道への道

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第16回
物事は本質からはじまる

京都・枯山水庭園

みんなわかっとるよね!そうそうみんな感じとるよね!この素晴らしい「あたりまえ」のことこそ、今忘れてしまわれそうになっているんじゃね。
物事の本質を見通す「見識」と風趣(風情)を見分ける「眼力」を身につけるべく、その時の心は「虚心坦懐」(きょしんたんかい・心になんのわだかまりもない、素直でさっぱりとした平らかな心。またそうした心で物事に臨むさま)でなければならないはずじゃ~。

しかし、その心は現代社会において捨てられてしまいそうになっている。「物事の本質」を置き去りにしちゃうと大変「MOTTAINAI」。物事の本質を追究する心こそ、物作りの原点である。そうです、自分自身の焦りが一番の敵である。
「この木は生長が遅いな~」とか「この花まだ咲かないな~」とか「早く実がならないかな~」などと考え、心に焦りがでると、育て方を失敗してしまうケースが多い。焦りとは人間のエゴだからである。植物を育てるのに、これではいかんがね。
その植物の本質を見通し、それに見合った育て方や剪定(せんてい)を行うことによって、うまく育つ。「教育」と同じく、「おしえ」「はぐくむ」のじゃ。

焦りは事故にもつながるがよ。例えば、点検を怠ったりスピードを出し過ぎたりすると、惨事を招きかねるがね。僕らは、気をつけて生活せんといかんほど、焦りながら日々を歩んどる。
「油断するな~!」などとまわりから厳しいことを言われると、下を向き、耳をふさぎたくもなる。しかし、枯れそうな植物が目の前にあったら水をやったり、太陽の光があたる場所に動かしてやったりしたくなる。ゴチャゴチャ言われると逃げたくなるけんど、言われないと分からんときも多々あるがよ。

植物は意思を表すことができん生き物で、ワンちゃんやネコちゃんと同じく泣きもせん。だから、僕ら人間たちがその植物の本質を見通し、できる限り目で物事を見て、感じとれるような訓練をせんといかんね。

新宿御苑 「親と子の森」

そうそう、これこそ「庭道精神」ね。愛情を持っている僕ら、「OMOIYARI」を持っている僕らには、必ずこれができる。これが分かる。これが分かるのは、この国に生まれた特権でもある。 暑いときは熱いものがお腹に良いといわれるように、暑いときは厚い情も悪くない…な~んて言うとるのは僕だけかもしれん。まぁでも、己魂(みたま)の本質を見通す訓練も、たまには必要じゃね。
物事の本質を見通し、訓練を常に日常生活でやっちょると、必ず生きるためのヒントや糧(かて)が得られ、それはやがて自信につながり、勇気へと進化することじゃろう。

植物も動物も人間も、全ての生きモノは一歩ずつ死に近づいて歩んどる。だから、「今」を大切に、時間を有効に使って、一緒に歩もうね。
ちょっくら涼しすぎる話になったけど、ボチボチ、ボチボチいこうぜよ。

まだまだ暑さは続きます。この国の冷たさも続きます。焦らずに秋を待とうね。自然に逆らうと、ろくなことないからさ~。
まぁまぁ、大声で「暑か~!」と叫びながら、この夏を乗り越えよう。

よし!僕も一度全てを流そう!…だから今からソーメン食べま~す。
ではまた次回。

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