お取り寄せからみたニッポン

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第12回
埼玉県・江戸木目込人形と岩槻人形

現代のフィギュアに通じる人形の伝統

女の子がいるご家庭では、3月の雛祭が終わってお雛さまをしまったばかりではないだろうか。この雛人形、我が家ではキットの木目込人形を買って、少しずつ作りたし、雛壇にしたものを、毎年飾っている。

木目込人形とは、桐塑(とうそ)または木で作られた人形に、衣服の形に沿った筋彫りを入れ、その筋に布の端を押し込んで衣装を着ているように仕立てた人形だ。そのため、衣装を上から着せたものより、布でしっかりくるんだような質感になるのが特徴だ。
この筋に布を押し込むという作業を、きめ(木目)込むことから、木目込人形というらしい。

もともとは、京都の上賀茂神社の祭事で使う木の残片から作った木彫りの人形に、衣装の切れ端を挟んで着せたのが始まりといわれ、「賀茂人形」と呼ばれていたそうだ。
この人形が、江戸時代に江戸に伝わって改良され、広く作られるようになったのが、江戸木目込人形だという。

江戸だけでなく、埼玉でも作られるようになったのは、原料と職人が豊富にいた背景がある。江戸時代の埼玉県では、日光東照宮の造営にあたって全国から集められた工匠が、日光御成街道の江戸から最初の宿場町であった岩槻周辺に住むつくことがあった。周囲は桐の産地だったため、桐タンスなどの製品を作るようになり、住み着いた匠の中には人形を製作する者もいて、桐の加工で出た粉を糊で固めた桐塑で人形の頭部を作るようになった。塗装に使う胡粉のための水にも恵まれ、江戸へも近かったことから、人形作りが盛んになっていったという。幕末には、岩津藩の専売品に指定されるほどの重要な産業だったそうだ。

岩槻人形とは、こうした岩槻地域を中心に作られる衣裳着人形の総称で、その特徴は、胴が大振りで、輪郭が丸く、目が大きく少し派手目な彩色。素材の桐塑は、乾くと固くなり、削って形を整えるなどの細工もしやすい上、人肌に近い胡粉の仕上がりに長けた職人の技で、つるりとした美しい肌に仕上がるので、くっきりとした愛らしい顔だちが作りやすかったのだ。養蚕が盛んな地域も近いため、髪の毛に柔らかな生糸を使用。胴は藁胴で、そこに絹織物や綿織物で仕立てた衣裳を着付けて作られた。こうして、職人と産地の密接な関係から、明治時代には、雛人形や五月の節句人形などが盛んに作られ、国内有数の人形産地となったのだ。

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