お取り寄せからみたニッポン

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第15回
岐阜県・暑い季節に涼しげな岐阜うちわ

長良川・鵜飼観光の土産品として

梅雨の季節になると、街中のティッシュ配りが、時折、うちわを配りはじめる。表の柄は、銀行やスーパーの宣伝だったり、イベントの告知やパチンコ屋の広告だが、節電にもなるし、なによりこの蒸し暑い時期、重宝に使わせてもらっている。

最近のうちわの骨はプラスチックだが、昔は竹だったな…と思い返し、調べてみると、日本三大うちわとして京うちわ、丸亀うちわ、房州うちわという産地が見つかった。ほかにも、岐阜うちわ、三重県の日永うちわなど、日本各地に、伝統的なうちわがあることがわかった。

うちわの歴史は古く、古代中国やエジプトの壁画にも描かれているそうだ。日本では、弥生時代の古墳から出土したものもあり、正倉院には中国から伝わった「唐扇」が納められている。日本のうちわは、高松塚古墳の壁画に描かれた「翳(さしば)」が原形と言われ、そうしたものが時代とともに変化して、今のような形になったのは室町時代末だという。
江戸時代には庶民の生活にも浸透し、明治時代には広告を入れて配布されるようになったそうだ。

前述した岐阜うちわに惹かれたのは、長良川の鵜飼の観光客向けの土産品として作られたのが起源とされていること。三重県の日永うちわも伊勢参りの土産物として人気だったそうだから、観光とうちわの相性はそもそも良いのだと思う。中でも、蒸し暑い夏の夜、鵜飼見物にきた客たちが、うちわで涼みながら川沿いで鵜飼を楽しむ様子が思い浮かぶ。なんとも風情のあることだ。

岐阜県でうちわ作りが栄えたのは、良質な材料に恵まれていたこともある。うちわの素材は、竹と和紙だが、四方を山で囲まれる岐阜は山のすそ野に良質な竹が群生し、美濃和紙の問屋も栄えていたので、うちわの加工も盛んに行われた。江戸期には特産品となり、明治時代には年間140万本も作られていたという。1992年には岐阜県郷土工芸品に指定されている。

ところが、いまでは手作りの岐阜うちわ専業は、鵜飼観覧船のりばから西へ続く、格子戸のある昔ながらの古い街並みの川原町でいまも営業を続ける「住井冨次郎商店」一軒になってしまったそうだ。

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