第5回
幸福へのモノの視点
2012.04.17 [星野 正紀]
コストをかけてまで固体を装飾するのは、メーカーにとってとてもリスクが高いのです。消費者は、高額なプライスタグが付いたモノにちゅうちょします。メーカーはそのことを分かっているし、商品も単なる機器部分(道具)ではなく、幸福への環境提供こそが商品であると考えているからです。
PCをはじめ、通信機器、オーディオ機器といったものだけでなく、自動車も例外ではありません。スタイリッシュなボディーをもった車本体が商品ではなく、車の持つ本来の目的である人間の輸送が最大の目的です。安全性と快適性の提供、すなわち「移動空間(室)が商品」であるという考えが再認識されました。(BOX型が多くなったのも理解できます。)
その「サービス」が商品であるため、できるだけ「道具」の装飾部分のコストを削減するのです。スタイリッシュでアグレッシブなスポーツカーのニーズが減少傾向にあるのは、「自動車に対する視点が変わった」からだと私は思います。なかなか世間で凝り固まった慣習から脱することは難しいのです。
1は、所有しているだけではその価値が分からないものです。
その道具は使用して幸福をもたらす「手段」ですが、新商品へのサイクルが早いため、旧タイプ機器=不要物として処理される量も多いのです。モノを大事にする習慣は1には期待できないと考えるべきではないでしょうか。
これらは、昔よく使った言葉で言うと「使い捨て」。
今では資源の問題で「リサイクル」されるようになりました。でも、人のココロの中ではリサイクルではなく「リセット」が正しいのかもしれません。記憶に残る2と3を大切に所有して幸福感を抱ける生活も「潤いのある人生」ではないでしょうか。
目的を果たすためにつくられた道具にも、愛着は存在します。しかし、道具としての寿命が短く、作り手もそこのところを理解して設計やデザインをします。
1の次は2、その次は3、4、5…と、どこまでも続きます。じっくりと腰を据えて売り手と買い手が共に楽しんだ、古き良き時代がとても懐かしく思うのです。
単純にモノという固体だけにこだわり、色、形、素材感で愛せる商品を開発していけたら、また今とは違った世界になるような気がいたします。
目的のための「単なる道具」と割り切るのではなく、モノを通して楽しめる社会をつくっていきましょう。
コメント