私が見つけたライフワーク(3)

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第5回
カンボジアへ旅立つ

今年に入ってから、ほぼ毎月訪れているカンボジア。
羽田空港に国際線ターミナルができてからは、深夜に羽田をたつ夜行便を使うことが多くなり、翌朝9時過ぎにはプノンペンに到着。空港に降り立つと、なじみの運転手が笑顔で迎えてくれます。「帰ってきたな~」と思う瞬間です。運転手から最近の出来事を聞き、スタッフと電話でその日のアポを確認して一日がはじまります。結構このリズムが気に入っています。

今では生活の一部になってしまったカンボジアですが、最初の一歩を踏み出すまでには少し時間がかかりました。

アジア学院にて。収穫作業中の風景

フィリピンスタディツアー(第4回参照)がご縁で就職した「アジア学院」は、「共に生きるために That we may live together」をモットーとして、アジア・アフリカの農村指導者養成のために設立されました。
世界ではおよそ7人に1人、約9億2500万人が飢餓に苦しんでいるといわれており、そのほとんどが途上国に住む貧しい人たち。世界にはすべての人に十分な食糧があるはずなのに、途上国で死ぬ子供の3分の1は栄養失調が関連しているといわれています(国連世界食糧計画より)。
「今の世の中は、食べものといのちをおろそかにしているんじゃないか。人のいのちとそれを支える食べものを大切にする社会をつくろう。いのちを支える仕事をしている農民たちと一緒に働こう。そういう思いでアジア学院を始めた」
同学院創設者の高見敏弘先生は、こう言います。

高見先生は、ユニークな経歴の持ち主です。旧満州に生まれ、家が貧しかったために小学校卒業と同時に京都の禅寺に預けられ、修行をしながら旧制中学校に通い、戦後は土木作業や日雇労働等で日銭を稼ぐ毎日。食べ物を買うお金がない時には、山でワラビやゼンマイ、木の芽などをつんで生活を支えたといいます。
そんなある日、電車で隣の人の新聞をのぞき込み、米国人宣教師のコック兼お手伝いの求人広告を見つけます。首尾よく採用された先生は、その縁で米国の大学に留学。大学院に進んで牧師の資格を得、アジア学院を創設。そのストーリーは、何度聞いても面白い波乱万丈の生涯。
生身の高見先生は、どん底の暮らしを知っている強さ、たくましさ、真実を見分ける鋭さを持つ反面、いたずらっ子のような一面も持っています。

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