私が見つけたライフワーク(3)

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第5回
カンボジアへ旅立つ

私はそのアジア学院で、インド、ネパール、ミャンマー、ケニア、ガーナ、ザンビア等、世界30か国以上の草の根活動のリーダーたちと出会いました。
中でも特に印象深かったのが、インドでした。インド北部のビハール州、ウッタルプラデッシュ州等の農村地域では、今でも高カーストの人が低カーストの人と食事を共にすることはほとんどないそうです。そんな厳しい階級社会にあって、目で見てすぐそれとわかるほどの極端な貧困にあえぐ人たちとひざをつき合わせて会話し、農業、教育、自助グループ育成など地道な活動に取り組む人々の姿に、深い感銘を受けました。貧しさを突き抜け、何か明るさのようなものがそこにあるように感じました。
「自分もここで暮らしたい!」
そう思った私は、インドへの旅をきっかけに、お客さん扱いされる出張ではなく、長期滞在できる仕事を探すようになったのです。

カンボジアに赴任したのは、1995年。当時のカンボジアは、パリ和平協定(1991年)、国連カンボジア暫定機構(UNTAC)監視下の総選挙(1993年)を経て、新しい国造りを開始したばかりで、1970年代から続いた内戦の面影を色濃く残していました。
首都プノンペンでさえ、道路は未舗装。もちろん信号もなく、銃弾の跡の残る建物や、うす暗い照明の店が多く、沈みがちな人々の表情からは、人と人との関係に少し距離をおくような印象を受けました。
女性たちは、サンポットと呼ばれるくるぶしまで届く無地のスカートにブラウス、というスタイル。未婚の女性はきれいな黒髪を長くのばしていましたが、おしゃれという感じではありません。電話はあってもなかなか通じず、用事があれば直接会いに行くという時代でした。
今考えると隔世の感がありますが、1980年代から住んでいる人にとっては、ロシア経由でテレックスを打つしか外国との通信手段がなく、三軒しか外国人が行けるレストランがなかった時代に比べると、「やっと普通の国になった」とのこと。当時は、「二年間の任期が終わったら、インドに行くぞ~」と思っていたので、たいして気にも留めませんでしたが、その後10年間住んでみて、変化の大きさに今更ながら驚いています。

次回は、いよいよカンボジアで出会った人について書いてみたいと思います。

<参考>
アジア学院
http://www.ari-edu.org/

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