第20回
大正ロマンのマツヨイグサ
2013.05.28 [西原 升麻]
春になって付近を歩いてみると、タンポポ(セイヨウタンポポ)、オオイヌノフグリ、ヒメオドリコソウ、ムラサキハナナ(ハナダイコン)、ツルニチニチソウ、ホトケノザなどの花がよく見られます。
しかし、このほとんどが海外組なのです。春のその辺で見られる山野草は意外に日本のものが少なく、実際この中で帰化植物でないのはホトケノザだけです。
街の郊外で見かける花は思った以上に帰化植物が多いのですが、その帰化植物にも栄枯盛衰があります。
一世を風靡(ふうび)するとは過去の一時期、圧倒的に流行したものを指しますが、山野草でもこれに当たる場合があり、特に帰化植物ではそういう事例が多いように思えます。
そんな帰化植物の一つに、マツヨイグサがあります。
大きく黄色い花が目を引く優しそうな雰囲気を持つこの花は、名前にしても姿にしても日本的ですが、実はこれも帰化植物なのです。
マツヨイグサの花全体
マツヨイグサが日本にやってきたのは江戸時代、嘉永4年(1851年)ころに日本に持ち込まれたとされています。原産地は南米のチリ辺りで、最初は庭園の観賞用として入って来たくらいですから、きれいで目立つのもうなずけます。
嘉永4年といえば、これから明治への激動の時代が始まるころ。
この年に天保の改革で知られる水野忠邦が没し、皇女和宮が有栖川宮熾仁親王と婚約。その2年後には米国のペリーが浦賀沖に黒船で来航するという正に「幕末の夜明け前」、そんな時代でした。
そういえば大河ドラマ「八重の桜」で知られる山本八重(新島八重)が生まれたのは、それより6年前で、ドラマの第一話はちょうどこの嘉永4年から始まっています。
このいかにも優しげに見えるマツヨイグサ、実態はおとなしいどころか、繁殖力旺盛(おうせい)で放浪癖もあったようで、日本各地に逃げだし、野生化して大繁殖したそうです。
一時はどこでも見られたマツヨイグサですが、最近ではほとんど見られないといいます。栄枯盛衰の典型のような花です。
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