第20回
大正ロマンのマツヨイグサ
2013.05.28 [西原 升麻]
ところでマツヨイグサといえば、あの有名な「宵待草」の歌を思い出します。大正時代を代表する芸術家、竹久夢二の作詞による名曲です。
夢二の絵
<宵待草の詩>
まてどくらせどこぬひとを
宵待草のやるせなさ
こよひは月もでぬさうな
ただ、「宵待草」という植物はありません。
これは夢二の造語で、本来ならば「待宵草(マツヨイグサ)」とすべきなのですが、どういうわけか、「宵待草」というタイトルで発表されました。
元々、夢二はマツヨイグサのことをツキミソウと呼んでいたそうです。
このころの時代の人は、夢二に限らずどのマツヨイグサでもツキミソウと呼んでいたといわれます。
今ならツキミソウという別の花が存在することはよく知られていますが、当時は混同というか細かい区別をしていなかったようです。
事実、夢二の日記では「月見草は動物以上の繁殖力を持つて地球の上を包むでゐるといふ」と表現されています。
本物のツキミソウは弱く、ほとんど野生化はしませんでした。
また、あまり知られていませんが、この「宵待草」の歌、実は2番があるそうです。
<宵待草の歌詞1番>
まてど暮らせど 来ぬ人を
宵待草の やるせなさ
今宵は月も 出ぬさうな
<宵待草の歌詞2番>
暮れて河原に 星一つ
宵待草の 花の露
更けては風も 泣くさうな
ただし、この2番の歌詞は夢二自身によるものではなく、この歌を題材にした映画を作る際に1番だけでは少ないという話が出て、西条八十(さいじょう・やそ)に作詞を依頼して作ってもらったそうです。
面白いのは、最初の歌詞は「花が散る」だったのが、実際の花は散らずにしぼむといわれた西条が、「花の露」に書き直したこと。作詞者は花を見ないで作ることもあるようです。
マツヨイグサ
メマツヨイグサ
この「宵待草」、「待宵草」を夢二が間違えたとされる説が一般的ですが、夢二は意識的にそう呼んだのかもしれません。
マツヨイグサでは語呂がわるいし、耳で聞いても「待つ宵」という意味が浮かんできません。日本語としては「宵待草」の方がすっきりします。
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